【戦争遺跡】松代大本営 象山地下壕 (1)
62回目の終戦記念日を迎えたという事で、今回は「戦争遺跡の旅」というテーマでやっていきます。
日本国民としては、いくら昔になろうともあまりに大きすぎる出来事でもあり、戦争の記憶を語り継ぐということはいくら時代が流れようとも、忘れてはならない事であると思います。
しかし、その「伝え方」も重要であると。
日本各地には、先の大戦で作られた様々な建造物や、もしくは戦災の傷跡を残す数々の遺構が今でも残っている。それはただ記憶だけに身を任せるのではなく、現実の歴史が形になったものとして、世代を超えて戦争の記憶を受け継ぐために強いメッセージを放つ。
さて、私は信州は松代にやってきた。風林火山ゆかりの地、真田十万石の城下町である。
幕末の思想家・佐久間象山が生まれた地であり、松代大本営跡の近くにはその象山を祀る「象山神社」が建立されている。
日本国民としては、いくら昔になろうともあまりに大きすぎる出来事でもあり、戦争の記憶を語り継ぐということはいくら時代が流れようとも、忘れてはならない事であると思います。
しかし、その「伝え方」も重要であると。
日本各地には、先の大戦で作られた様々な建造物や、もしくは戦災の傷跡を残す数々の遺構が今でも残っている。それはただ記憶だけに身を任せるのではなく、現実の歴史が形になったものとして、世代を超えて戦争の記憶を受け継ぐために強いメッセージを放つ。
さて、私は信州は松代にやってきた。風林火山ゆかりの地、真田十万石の城下町である。
幕末の思想家・佐久間象山が生まれた地であり、松代大本営跡の近くにはその象山を祀る「象山神社」が建立されている。
長野県民なら誰でも知っている県歌「信濃の国」にも出てくる象山先生。この神社も、長野県のシンボルの一つだ。
人一倍「愛県精神」の強い長野県人の思いを見た感じがします。さてさて、ここからが本題ですが。
かつて戦時中の昭和19(1944)年、戦況悪化により、国の中枢機能を移転させるため、この松代の一角に昼夜を問わない突貫工事で地下壕を築き上げた。最盛期には7000人の朝鮮人、3000人の日本人労働者を徴用し、昭和19年11月11日に初めて発破をかけてから終戦の日までのわずか9ヶ月の間に、象山、舞鶴山、皆神山の3ヶ所に作られた地下壕は、合わせて10キロにも及ぶ。
また、舞鶴山地下壕付近の地上部には、皇室関係者の仮の住居などとして予定されていた建物も残っている。これらの総称を「松代大本営跡」と呼ぶ。
そのうちの象山地下壕の一部分が、現在一般の見学客を受け入れており、長野市観光課が管理している。入場は無料。
公開されている象山地下壕の前にやってきました。目の前に鳥瞰図が描かれている看板があるが、公開部分はごくわずかだというのが分かる。しかし、こう見えても入口から最奥部まではおよそ500メートルの距離がある。この地下壕の巨大さがなんとなく分かって頂けたであろうか。
その横には「不戦の誓い」の石碑が。
また、目の前には巨大な「朝鮮人犠牲者慰霊碑」が建っている。見ての通り、そんなに古めかしい石碑ではないので、最近建立されたものだろう。それにしても、何も朝鮮人ばかりが犠牲になったのではない。偏った情報を額面通りに受け止めるにはいささか危険が伴う。
朝鮮人犠牲者慰霊碑の前には沢山の千羽鶴が置かれている。
千羽鶴に吊るされた短冊に書かれている学校の名前は、なぜかほとんど関西の小中学校のもの。
大阪民国から信州松代にわざわざ謝罪旅行ですか。反日サヨク洗脳教育のダシに使われている訳だ。
横にはこんな説明書きが。これは長野市や長野県ではなく、松代大本営朝鮮人犠牲者慰霊碑建立実行委員会なる「市民団体」が建立したものだ。「民族差別」などと随分偏った言葉も見受けられる。今でも多くの人々が見学に訪れる地下壕だが、その中には朝鮮総連や韓国民団のメンバーも少なくないという。
ついでに「むくげ」「れんぎょう」などの韓国の花も大量に植樹されているそうな。
鳥瞰図に見た、あまりに広大な地下壕の入口は、こんなに小さいもの。もともと裏口だったそうですが。
ちなみに、安全のためにヘルメットを装着する必要はあるが、職員さんいわく「任意で結構です」。
「自己責任」でお願いします。
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戦争遺跡「タチソ」 高槻地下倉庫 - 大阪DEEP案内
参考記事
松代大本営 - wikipedia
動画:強制労働は優遇労働でした
参考になりそうな書籍
図説日本の軍事遺跡
戦争遺跡を歩く
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