埼玉ミステリーツアー 吉見百穴 (1)
埼玉県のほぼ中央に位置する比企郡吉見町。東京都心から50キロ圏内にありながらのどかな田園風景が立ち並ぶ、何の変哲もない町の一角、山肌がえぐられ、まるで蜂の巣のように大量の穴が開いている不思議な場所がある。

それは古代人の住居とも言われたり、はたまた関東のとある豪族の墳墓だったという説もあるが、その穴の正体は発見されてから120年が経過した現在でも完全に明らかになっていない。
そんな謎めいた「吉見百穴」を見にやって来た。
「穴があったら入りたい」日本列島珍紀行取材班が捜し求めた穴の一つである。
6世紀もしくは7世紀、古墳時代後期に作られたと言われている。
ちなみに「ひゃくあな」と読むのが役場の人と地元の人だけで、テレビで紹介された時、「探偵ナイトスクープ」で使われた「ひゃっけつ」という呼び方が対外的にはポピュラーになっている。正しくは「ひゃくあな」です。

それは古代人の住居とも言われたり、はたまた関東のとある豪族の墳墓だったという説もあるが、その穴の正体は発見されてから120年が経過した現在でも完全に明らかになっていない。
そんな謎めいた「吉見百穴」を見にやって来た。
「穴があったら入りたい」日本列島珍紀行取材班が捜し求めた穴の一つである。
6世紀もしくは7世紀、古墳時代後期に作られたと言われている。
ちなみに「ひゃくあな」と読むのが役場の人と地元の人だけで、テレビで紹介された時、「探偵ナイトスクープ」で使われた「ひゃっけつ」という呼び方が対外的にはポピュラーになっている。正しくは「ひゃくあな」です。
入場料は300円。昔がどうだったかわからんのだが、どうも値上げした模様。吉見百穴の入口付近には2006年に出来たばかりの真新しい「吉見町埋蔵文化財センター」という町の立派な施設ができている。百穴内で発見された出土品の数々が展示されている。

入口前には大きな説明書きの板が置かれている。ともかく、入場料を払って中に入ってみよう。

これが吉見百穴である。見ての通り、そこらじゅう穴だらけ。これは不思議でたまらん。
古墳時代後期だから、かれこれ1400年もの間、こうして今に至っているというのだから凄い。
ここにも説明書きが。およそ120年前の明治20年、初めてこの吉見百穴を発見し発掘調査に当たった坪井正五郎博士は、この百穴から数々の埋蔵品を掘り出したのち、この穴を土蜘蛛人(コロボックル人)の住居であって、後に墓穴として使用されていたものと断定したのだった。
しかし、後の調査によって、そんな空想めいた説は否定され、結果的に吉見百穴とは古墳時代にこの地に住んでいた豪族が、死んだ親族を納めるための墓穴だった、ということで現状では収まっている。また、初期に作られた穴と後期に作られた穴では、穴の並び方がバラバラだったものが次第に整然としていく様子も見て取れる。

そんな吉見百穴、ただでさえ凄い史跡だが、なんと「ヒカリゴケ」の自生地でもある。北海道で主に見かけられるものだが、本州で見られるのは貴重である。天然記念物に指定されていて、ヒカリゴケの生えている穴はびっしりと大事に鉄格子が嵌められ、格子の隙間からしか確認することができない。

奥のほうに、ちらちらと「ヒカリゴケ」見えますよね??
コケ自体が光っている訳ではなく、コケの細胞がレンズ状になっていて、光を乱反射させるから光って見えるんだぜ。
もしかしてアイヌの小人伝説に出てくる「コロボックル人」が北海道からここまで運んできたものだろうか。

コロボックル人の住居なのか古代人の墓なのか、穴の中を伺ってみると…

どの穴も、確かに部屋のようになっていて、いずれも部屋の横側が段差になっており、ここに遺体を安置していたものと思われる。

穴の中の落書きは、コロボックル人の古代文字…ではなく、そこらのガキの残した落書きである。まったく、日本中どこに行っても文化財を何とも思わないDQNばかりが増殖してしまっているのか。

結局、墓だったという見方が有力のようだ。
>後半へ続く。
参考記事
吉見百穴 - Wikipedia
参考になりそうな書籍

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これが吉見百穴である。見ての通り、そこらじゅう穴だらけ。これは不思議でたまらん。
古墳時代後期だから、かれこれ1400年もの間、こうして今に至っているというのだから凄い。
ここにも説明書きが。およそ120年前の明治20年、初めてこの吉見百穴を発見し発掘調査に当たった坪井正五郎博士は、この百穴から数々の埋蔵品を掘り出したのち、この穴を土蜘蛛人(コロボックル人)の住居であって、後に墓穴として使用されていたものと断定したのだった。
しかし、後の調査によって、そんな空想めいた説は否定され、結果的に吉見百穴とは古墳時代にこの地に住んでいた豪族が、死んだ親族を納めるための墓穴だった、ということで現状では収まっている。また、初期に作られた穴と後期に作られた穴では、穴の並び方がバラバラだったものが次第に整然としていく様子も見て取れる。
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奥のほうに、ちらちらと「ヒカリゴケ」見えますよね??
コケ自体が光っている訳ではなく、コケの細胞がレンズ状になっていて、光を乱反射させるから光って見えるんだぜ。
もしかしてアイヌの小人伝説に出てくる「コロボックル人」が北海道からここまで運んできたものだろうか。
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どの穴も、確かに部屋のようになっていて、いずれも部屋の横側が段差になっており、ここに遺体を安置していたものと思われる。
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